女友達が死んだ。享年30歳。死因・不倫。

女友達(ミムラ・仮名)が死にました。

死因は不倫です。

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正確にはミムラは生きています。元気に生きています。

 

死んだのは彼女の20代です。今日、ミムラは30歳になりました。

 

長い闘病生活でした。

24歳で不倫という病に侵され、彼女自身はもちろん、彼女の友人たちが何度もさまざまな治療を試みましたが、6年にわたる闘病生活もむなしく、00時00分00秒、彼女の20代は静かに息を引き取りました。

昨日、ミムラの誕生会という名の葬儀が執り行われました。インスタグラムに投稿された写真からたくさんの参列者にかこまれたミムラの姿を確認することができました。たのしそうに笑っています。「誕生会おいでよ」と共通の友人に誘われていましたがパスしました。友人の誕生会には可能な限り参加するほうですし、ミムラの誕生会には毎年顔を出しています。

でも、どうしても今年は行けなかったのです。行く気になれなかったのです。

 

周囲の友人たちのほとんどがミムラの不倫を知っていて、きっと誕生会に参加している何人かは「20代、ご愁傷さまです……」ということを考えているはずです。もしかしたら中にはほくそ笑んでいる人もいるのかもしれません。

 

ミムラの不倫相手は僕の東京の友人でもあります。彼は大手アパレルメーカーに勤めていて、店舗を管理するマネージャーです。全国に出張があり、名古屋へは月に2~3回来ています。そして、彼には担当する各地に彼女がいます。名古屋、静岡、京都、滋賀、和歌山。僕が知っている限り5人です。

 

不倫。本人たちが良しとしているなら、とやかく口を出すことではないのかもしれません。

 

でも、僕は知っています。来月、彼がミムラに別れを告げることを。

6年間の不倫に彼から終止符を打つことを僕は知っているのです。

単純に彼が昇格し4月から内勤がメインになるからです。名古屋に来ることが無くなるから。それだけの理由です。

 

ミムラは彼を愛していますが、彼にとってのミムラは出張ついでにホテルに呼ぶ無料の風俗みたいなもんです。ひどい言い方ですが、事実です。

 

ミムラにとって彼はどんな存在だったのでしょうか。

彼氏という認識だったのでしょうか。なぜミムラは奥さんがいると知りながらも6年間も彼を愛し続けたのでしょうか。これから彼女にはどんな未来が待っているのでしょうか。

 

 

  

ミムラ、30歳の誕生日おめでとう。誕生会行けなくてごめんね。

ミムラ、聞いてくれ。

間もなく君は彼から別れを告げられる。彼の担当から名古屋が外れるんだ。それだけの理由だ。彼は君のことが嫌いになったわじゃないよ。だって、はじめから好きじゃなかったんだ。

ミムラ、君は彼のやさしい所が好きだと言っていた。でもそれは「最後には君のことを選べない。ごめんな」という後ろめたさからくるものだ。

ミムラ、君は彼からも「好きだよ」と伝えてもらっていると言った。でもそれは「嫁というハードルは無理だけど、不倫相手としては好きだよ」を略して「好きだよ」と言ったんだ。

彼は君のことを「めんどうなことを言わず、自分を好きで、身体の相性はいい不倫に最も適した女」と思っているよ。彼が実家暮らしで30歳の君を好きになるはずがないよ。彼は学歴と経済力がある自立した女が好きなんだ。

ミムラ、君はどれだけ彼の奥さんのことを知っている?

実は、僕は1度だけ会ったことある。彼の奥さんはめっちゃいい女だ。正直、勝ち目はない。勝ち目はないって言うか、はじめから同じリングで戦っていない。

彼と君をはじめて出会わせてしまったのは僕だ。6年前の初夏、台風の夜。偶然とはいえ君と彼を引き合わせてしまった。あの時雨が降っていなかったら、新幹線が遅れなかったら、僕が彼からの連絡に気づくのが遅れていたらこんなことにはなっていなかった。たまに思い出しては悔やんでいるよ。僕だって罪の意識はゼロではない。僕は君に何度も止めるように忠告した。彼にだってミムラを手放すように何度も言った。でもね、それはね、君への心配ではなく、僕自身が自らの罪の意識を消したかったからだ。

ミムラ、きっと君の心はコナゴナになるだろう。彼の家庭をぶっ壊すくらいのことを考えるかもしれない。でも、彼は君にどれだけ本当のことを伝えたんだろう。君が6年間信じていた彼の情報のうち、おそらく半分以上はウソだ。彼は東京にいるときと地方に行くときは完璧な別人になるんだ。SNSのアカウントだって使い分けている。君は彼の本当の居場所、職場、最寄駅、何一つ真実を知らないと思う。6年間過ごした絆なんかLINEをブロックされたらあっけなく終わるくらいもろい関係だ。

 

ミムラ、君の失われた6年間はもう戻らない。でもこれからも人生は続く。

君と同い年の女性陣は君が不倫している24歳~30歳の間にたくさん結婚していったね。

大丈夫だ、ミムラ。まだ30歳になったばっかりだ。まだ戦えるはずだ。

傷が癒えるのに数年かかるかもしれない。でもこれから始まるんだ。やっとスタートできるんだ。不利なスタートになる。だって将来、ミムラの彼氏が「自分の彼女が24歳から6年間不倫していた」という事実を知ったとき心が折れるからだ。10000%折れる。きっと多くの男性はこれを受け止めきれない。「自分の彼女が女としての一番いい時期にちゃんと恋愛をせず不倫相手に奪取されていた。そんであっけなく30歳でふられた」という事実を知ってしまったときに生まれる感情は絶望だ。いや、やり場のない怒りだ。「6年間不倫していた女」というレッテルを一生貼られるだろう。秘密にするにしても覚悟が必要だ。

ミムラ、もうひとつ悪いニュースがある。君は世の中の30歳の女性と比較すると少し疲れている。恋愛を楽しんでいる30歳、仕事に没頭する30歳は君より美しい。お金を使って外見もみがき直さなきゃいけいない。でも、不倫がいかに不毛か身をもって知るはずだ。絶望で終わる恋愛を経験し、立ち直った女は美しい。だから、立ち直ることさえできたなら、今からだって恋愛市場で立派に戦えるはずだ。

君が泣き止んで、何度かの女子会と旅行を終えて前を向いたとき、僕は全力で男友達を紹介する。もちろん独身だ。これからさらに増すであろう僕の罪の意識はこうやって消すことにする。でも、早くしないと僕の男友達も高年齢化するからね。

 

ミムラ、閉まりかけの扉に駆け込み乗車してやろう。

行儀悪く列に割り込んでやろう。

ずいぶんと長い間忘れていたトレーニングを始めよう。

ギシギシと全身筋肉痛になりながらリングに上がろう。

いつか自分にOKを出せるように、がんばろう。

大丈夫、間に合うはずさ。

季節はちょうど春だ。不毛な恋をおわらせるには十分すぎる理由だ。 

 

 

おしまい

 

追記【お知らせ】

茶店、やってます お気軽にどうぞ。

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 https://a-port.asahi.com/salon/cream-soda/

 

3月15日に書籍が発売されます 。今ご覧のブログから反響の大きかった記事を加筆修正し、大量の書き下ろしを収録。

ミムラのその後も収録されています。

 

 

 

もし君にひとつだけ強がりを言えるのなら

 

34歳、同い年の男友達が9年付き合った彼女とお別れをしました。

2人は僕の紹介で付き合いを始めたカップルでした。

途中3年間の遠距離恋愛もありました。

共通の友達も多く、周囲がうらやむ仲の良さでした。

僕が知る限りどちらも浮気していなかったし、喧嘩するたびにちゃんと向き合って仲直りしていました。お互いが求め合うのではなく、常に与え合う2人でした。1度も別れることなく9年間を過ごしました。

34歳と31歳。

誰もが同棲4年目の2人は結婚するものだと思っていました。

20代の貧乏だけど楽しい時期を一緒に暮らして、2人で大人になりました。

お互いの親にも挨拶して、画像フォルダには何百枚も写真があって、何回も夏とか冬を越えました。

膨大な時間や価値観や情報や感情を共有して、お互いが人生の一部になって、それでも別れるという選択でお互いが納得したんだから、外野がとやかく意見を挟んだり、どっちが悪いという審判を下す必要なんてこれっぽちも無いわけで、2人ともとにかく今はお疲れ様でした。

 

別れた彼女のことは彼女の女友達に任せよう。

大丈夫、彼女には優秀な女友達がたくさんいるから。きっと何回かの女子会と旅行で彼女は笑顔を取り戻すはずだから。

そして君が一番よく知っていると思うけど、彼女はとってもいい女だから、きっといい男と一緒になって幸せになると思う。

僕らはどうしようか。

オッサンになってから友達が大失恋するなんて思ってもいなかったから、僕にしてあげられることが何があるのなんかすぐには思いつかないや。

大学生だったら夜中に海にでも行くんだろうけど、眠くなっちゃうし、君は相変わらずペーパードライバーだし、たぶん行く途中のサービスエリアでうどん食べて「やっぱ帰ろうか」ってなるから、とりあえずお酒でも飲もう。名古屋駅の裏の路地にある煙もくもくの汚い焼き鳥さんで、いつも通りサッカーと下ネタの話で盛り上がろう。そんで、気が向いたら彼女のことを話せばいい。

君が望むならキャバクラだって行く。望まないだろうけど。

君が望むならカラオケで「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」って歌う。望まないだろうけど。そんで、やっぱりオッサン2人でのカラオケは気持ち悪いからやめよう。

 

ただ、僕は知っていました。

同棲してたぶん2年目くらい。

「結婚」というフレーズを2人とも口にしなくなったことを知っていました。友達が「結婚」というフレーズで2人をからかう度に笑いながらごまかすことを知っていました。

だから、別れたことに対してはめっちゃ驚いたふりをしたけど、実はそんなに驚いてない。

 

9年付き合った恋人と別れるなんて僕には経験の無いことなので「気持ちわかるよ」なんて嘘を言っても君は「なんでやねん」って返すだろうけど、独りで生きる30代の過ごし方だったら君よりたくさん知っているから、色々と教えてあげられる。

不動産屋の知り合いもいるから新居探しも手伝うよ。あの部屋は1人ではちょっと広すぎるし、家賃だって大変だ。

 

僕は君も別れた彼女も、これからもどっちも大切な友達だから、何が悪かったとか、こうすれば良かったとか、そんな話するつもり無いけど、時にはさりげなく、時には強引に背中を押すことにする。オッサンだって失恋したらこうやて友達同士で何とかするのが正解だと信じているから。

そして、いつか女友達も紹介する。やっぱりオッサンでも恋愛は必要だからね。

 

ホント嫌になっちゃうよね、大人なのに、こんなオッサンになってまで恋愛がしんどいなんて。想像してたのとずいぶん違うよね。それどころか、年齢を重ねる毎に恋愛は修行のように厳しさを増していくね。

それでもこれからまた違う誰かと出会って、連絡先を交換して、デートに誘うのに緊張したり、LINEの返信にどきまぎしたりあたふたしたりやきもきしたりするんだろうね。大人ってもっとスマートに色んなことをやるのかなって思ってたけど、恋愛ばっかりは高校生とかと変わんなかったりするよね。

顔と体ばっかりオッサンになって、仕事や立場も変わって、恋愛もこんな状況で、人生の選択肢は狭くなっていくばかりにも見えるね。

 

いつまでやんだろね、これ。

 

やっぱり「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」って歌うのは君にゆずる。あの歌の最後の「君あての郵便がポストに届いているうちは片隅で迷っている。背中を思って心配だけど。2人で出せなかった答えは、今度出会える君の知らない誰かと見つけてみせるから」って部分が刺さって泣いちゃうかもしれないけど、とにかく今は盛り上がればそれだけで充分だよね。

 

 

おしまい

 

364日震災のことは忘れています

震災から間もなく5年が経過しようとしています。 

5年も、経過しようとしています。

5年も経過してやっと最近(あ、これは一生終わらないやつだな)と受け入れたことがあるので、そのことを書いておこうと思いました。

 

5年前の震災で友人や、学校の先生や、後輩を亡くしました。

 

あの日、山形に実家のある僕はパニックになりました。

実家で暮らす家族はもちろん、たくさんの友人が東北にいます。

山形の被害は少なかったのですが、多くの友人が福島や宮城で働いていました。震災直後は誰とも連絡が取れない状態でしたが、日が経つにつれて、次々に家族や親戚や友人達が無事だという知らせが入りました。

一方で「お世話になった学校の先生が亡くなった」「同じクラスだった子が亡くなった」という知らせも届きました。悲しかったですが、あの津波の映像は友人たちの死すら(しょうがないじゃん、だってこの津波だよ?)という納得性を僕に持たせました。

そんな中、どうしても親友と連絡が取れませんでした。家も近所で、同じ習い事や部活をして、小学校から高校を卒業するまで一緒に過ごした親友です。

 

携帯もつながらず、誰も彼の安否を知りません。

年賀状の住所からGoogleMAPで場所を確認すると、もろに津波の被害にあっている場所でした。毎日増えていく死者、行方不明者の数。繰り返し流される津波の映像。

(きっと亡くなってるんだろうな)と何となく覚悟を決めていました。しかし数日後、人伝いに彼は生きているということを知りました。家族で避難所にいるという嬉しい知らせでした。

 

すぐに連絡するのは止めておこうと思いました。物理的に連絡が取れないということもあったのですが、家が流されて避難所で生きる親友に何と声をかければいいのか分からなかったのです。余震、津波原発放射能。テレビで伝えられる状況があまりにも非現実的で、地元から遠く離れた場所に住む僕は蚊帳の外でした。落ち着いた頃に改めて連絡すればいい。そう思いました。

 

それから、1年間、僕から彼に連絡することはありませんでした。

男同士なので元々こまめに連絡を取っていたわけではありませんでした。サッカーの日本戦の感想をメールでやりとりしたり、年賀状が来たり、盆正月は帰省するやらしないやら、連絡するのは1年に3~4回です。

それでも顔を合わせればまるで毎日会っているかのように付き合える仲でした。 

震災から半年が経った頃、1度だけ彼から着信がありました。仕事中で出れなかったのですが(ようやく落ち着いたのかな)と安心した覚えがあります。でも僕は、僕の日常にいました。震災のニュースも減り、僕は目の前の仕事に忙殺されていました。毎月の家賃やら光熱費やら友達の結婚式やらデートやらで忙しい毎日を送っていたのです。結果、折り返しの連絡をすっかり忘れてしまいました。

 

あっという間に月日は経ち、震災から約1年後、初めて彼に連絡をしました。

「まもなく震災から1年」というニュースを目にして、思い出したように電話したのです。

電話に出たのは彼の奥さんでした。 

僕が電話をする1週間前。彼は亡くなっていました。

 

死因は今でも分かりません。 

震災の関連死、ということだけは教えてくれました。

関連死のほとんどは震災のストレスなどによる体調悪化だと聞きます。

彼は自殺したという噂も耳に入りました。

真相を知る術はもうありません。

 

津波で何もかも失って、何を感じ、何を考え、なぜ死んだのか。

彼は僕に何を伝えたくて一度だけ電話してきたのか。

当然ですが、僕は彼に連絡をしなかったことを後悔しています。

なぜ連絡しなかったのか。電話に出なかったのか。

僕は毎年この時期になると、この後悔の感情を持て余し途方に暮れます。しまう場所が無いのです。

消せないのです。彼の電話番号を。

電話すれば彼が電話に出るような気がしてしょうがないのです。頭では分かっていても彼から電話がまたかかってくるような気がしてしまうんです。電話かかってこいという僕の欲求です。「もしもし?しぶとく生きてるらしいな」とか冗談を言ってやるつもりだった電話。

たった一本、たった一本の電話です。たった一本の電話が、大人を、33歳のおっさんになった僕を、こんなにも苦しめます。何年も何年も苦しめます。

きっと40歳になっても、80歳になっても、死ぬまで僕はこの感情をどこにもしまえることはないと思います。

このことを受け入れるだけで5年かかりました。

 

多くの人にとって震災は終わったことです。

当然です。5年も経ったんです。

 

僕らの日常は本当に矢のようなスピードで過ぎています。雨が降るたびに季節が変わって、仕事したり家賃払ったり友達の結婚式に行ったり親のことを気にしたりしてると、あっという間に一年が終わります。立ち止まっている暇なんかありません。

 

僕が彼に連絡しなかった最大の理由は「いつでも連絡できる」という根拠のない安心感です。避難所で生きていることが分かり、安心し、これで落ち着いたらいつでも連絡できると思っていたからです。でも現実は違いました。彼はいなくなり、一生消えない後悔だけが残りました。

だから、一年に一度だけ、この時期だけでもいいと思うんです。思い出してほしいんです。明日、自分の大切な人が今日と同じように存在しているという保証はどこにも無いということを。

被災していない人、何もしなかった人、物資を買い占めた人も。

明日、死ぬ可能性があるということを。

 

 

僕は一年に一度、震災の日がやって来るたびに、思い出し、立ち止まって、色々なことを考えます。

家族、仕事、生き方、本当にやりたいこと、会いたい人。

大切な人に伝えていないことは無いか、もやもやした感情を抱いたまま、何となくそのままにしている人はいないか、ということを。

 

考えるきかっけに震災を利用するくらいはいいんじゃないでしょうか。

不謹慎では無いと思います。

 

震災を利用して、勇気を出せることがあるかもしれません。

伝えられる言葉があるのかもしれません。

 

364日、震災のことを忘れていてもいいと思うんです。

でも1年に1回だけ、利用しましょう。震災を。

 このまま完全に忘れるのは、あまりにももったいないと思うんです。

 せっかく震災を体験した世代なんですから。