震災から間もなく5年が経過しようとしています。
5年も、経過しようとしています。
5年も経過してやっと最近(あ、これは一生終わらないやつだな)と受け入れたことがあるので、そのことを書いておこうと思いました。
5年前の震災で友人や、学校の先生や、後輩を亡くしました。
あの日、山形に実家のある僕はパニックになりました。
実家で暮らす家族はもちろん、たくさんの友人が東北にいます。
山形の被害は少なかったのですが、多くの友人が福島や宮城で働いていました。震災直後は誰とも連絡が取れない状態でしたが、日が経つにつれて、次々に家族や親戚や友人達が無事だという知らせが入りました。
一方で「お世話になった学校の先生が亡くなった」「同じクラスだった子が亡くなった」という知らせも届きました。悲しかったですが、あの津波の映像は友人たちの死すら(しょうがないじゃん、だってこの津波だよ?)という納得性を僕に持たせました。
そんな中、どうしても親友と連絡が取れませんでした。家も近所で、同じ習い事や部活をして、小学校から高校を卒業するまで一緒に過ごした親友です。
携帯もつながらず、誰も彼の安否を知りません。
年賀状の住所からGoogleMAPで場所を確認すると、もろに津波の被害にあっている場所でした。毎日増えていく死者、行方不明者の数。繰り返し流される津波の映像。
(きっと亡くなってるんだろうな)と何となく覚悟を決めていました。しかし数日後、人伝いに彼は生きているということを知りました。家族で避難所にいるという嬉しい知らせでした。
すぐに連絡するのは止めておこうと思いました。物理的に連絡が取れないということもあったのですが、家が流されて避難所で生きる親友に何と声をかければいいのか分からなかったのです。余震、津波、原発、放射能。テレビで伝えられる状況があまりにも非現実的で、地元から遠く離れた場所に住む僕は蚊帳の外でした。落ち着いた頃に改めて連絡すればいい。そう思いました。
それから、1年間、僕から彼に連絡することはありませんでした。
男同士なので元々こまめに連絡を取っていたわけではありませんでした。サッカーの日本戦の感想をメールでやりとりしたり、年賀状が来たり、盆正月は帰省するやらしないやら、連絡するのは1年に3~4回です。
それでも顔を合わせればまるで毎日会っているかのように付き合える仲でした。
震災から半年が経った頃、1度だけ彼から着信がありました。仕事中で出れなかったのですが(ようやく落ち着いたのかな)と安心した覚えがあります。でも僕は、僕の日常にいました。震災のニュースも減り、僕は目の前の仕事に忙殺されていました。毎月の家賃やら光熱費やら友達の結婚式やらデートやらで忙しい毎日を送っていたのです。結果、折り返しの連絡をすっかり忘れてしまいました。
あっという間に月日は経ち、震災から約1年後、初めて彼に連絡をしました。
「まもなく震災から1年」というニュースを目にして、思い出したように電話したのです。
電話に出たのは彼の奥さんでした。
僕が電話をする1週間前。彼は亡くなっていました。
死因は今でも分かりません。
震災の関連死、ということだけは教えてくれました。
関連死のほとんどは震災のストレスなどによる体調悪化だと聞きます。
彼は自殺したという噂も耳に入りました。
真相を知る術はもうありません。
津波で何もかも失って、何を感じ、何を考え、なぜ死んだのか。
彼は僕に何を伝えたくて一度だけ電話してきたのか。
当然ですが、僕は彼に連絡をしなかったことを後悔しています。
なぜ連絡しなかったのか。電話に出なかったのか。
僕は毎年この時期になると、この後悔の感情を持て余し途方に暮れます。しまう場所が無いのです。
消せないのです。彼の電話番号を。
電話すれば彼が電話に出るような気がしてしょうがないのです。頭では分かっていても彼から電話がまたかかってくるような気がしてしまうんです。電話かかってこいという僕の欲求です。「もしもし?しぶとく生きてるらしいな」とか冗談を言ってやるつもりだった電話。
たった一本、たった一本の電話です。たった一本の電話が、大人を、33歳のおっさんになった僕を、こんなにも苦しめます。何年も何年も苦しめます。
きっと40歳になっても、80歳になっても、死ぬまで僕はこの感情をどこにもしまえることはないと思います。
このことを受け入れるだけで5年かかりました。
多くの人にとって震災は終わったことです。
当然です。5年も経ったんです。
僕らの日常は本当に矢のようなスピードで過ぎています。雨が降るたびに季節が変わって、仕事したり家賃払ったり友達の結婚式に行ったり親のことを気にしたりしてると、あっという間に一年が終わります。立ち止まっている暇なんかありません。
僕が彼に連絡しなかった最大の理由は「いつでも連絡できる」という根拠のない安心感です。避難所で生きていることが分かり、安心し、これで落ち着いたらいつでも連絡できると思っていたからです。でも現実は違いました。彼はいなくなり、一生消えない後悔だけが残りました。
だから、一年に一度だけ、この時期だけでもいいと思うんです。思い出してほしいんです。明日、自分の大切な人が今日と同じように存在しているという保証はどこにも無いということを。
被災していない人、何もしなかった人、物資を買い占めた人も。
明日、死ぬ可能性があるということを。
僕は一年に一度、震災の日がやって来るたびに、思い出し、立ち止まって、色々なことを考えます。
家族、仕事、生き方、本当にやりたいこと、会いたい人。
大切な人に伝えていないことは無いか、もやもやした感情を抱いたまま、何となくそのままにしている人はいないか、ということを。
考えるきかっけに震災を利用するくらいはいいんじゃないでしょうか。
不謹慎では無いと思います。
震災を利用して、勇気を出せることがあるかもしれません。
伝えられる言葉があるのかもしれません。
364日、震災のことを忘れていてもいいと思うんです。
でも1年に1回だけ、利用しましょう。震災を。
このまま完全に忘れるのは、あまりにももったいないと思うんです。
せっかく震災を体験した世代なんですから。