次の誕生日が来ると40歳になります。
仕事は順調で、苦労も多いですがそれなりの役職にも就けました。
友達はほとんど結婚してしまいましたが、僕は独身です。一所懸命仕事をしていたら、あっという間にこの年齢になっていました。
周囲からは独身貴族だの理想が高いだの冗談半分でからかわれますが、遠くない未来に結婚したいと思っている恋人がいます。付き合って2年半。一回り年下の女性です。
一回り下と言っても、彼女も27歳です。あまりプレッシャーは感じませんが、付き合うタイミングで「あなたの人生プランにおいて今後結婚の予定がないのであれば付き合いたくありません。そうじゃなければ付き合いましょう」と言われたことがあるので、まったく意識していないことはないと思います。
もう10年近く昔の話ですが、結婚の約束をしていた恋人を東日本大震災で亡くしました。と言っても正式なプロポーズをしたわけではありません。口約束です。
それでも僕たちは東京のマンションで半同棲をして、近くに住む僕の両親には紹介が済んでいました。そして、春には彼女の両親にも正式に同棲の許可をいただきに伺う約束をしていました。
あの年の3月、彼女は実家のある東北にいました。
フリーランスの経理として仕事をしていて、毎年2月末くらいから帰省を兼ねて家業の決算の手伝いをしに東北に滞在するのが恒例だったのです。
3月11日。
日本中に流れた、全てを根こそぎ奪っていく絶望的な映像。
一万五千人を超える死者。
死亡者リストの中に見つけた彼女の名前。
「あなたの話は娘から聞いていたけど、結婚していたわけじゃないんだから、どうか何も背負わずに生きてください。できれば、もうここには来ないほうがいいでしょう」
ボロボロの街で、初めて会った彼女の両親から言われた言葉。
あれからもうすぐ10年です。
10年も経ったのです。
とっくの昔に悲しみは癒えました。いつまでも不幸に酔って生きて行こうとは思いません。
僕には僕の人生がありますから。
僕は、亡くした彼女のことを忘れようとも、忘れたいとも、忘れられるとも思っていません。
同じ名前の女性を見れば思い出し、毎年3月が来れば思いを馳せ、一緒に聞いていた、彼女が大好きだった曲は10年も経つのに聴くことができません。
この前、深夜の歌番組でその歌が流れたのが耳に入ってしまい、不意に胸がギュッと締め付けられ、少し泣いてしまいました。
でも、もう辛くはありません。
ちょっと寂しいけど、辛くはないのです。
そうやって、これからも生きていくのです。
僕だけじゃなくて、僕たちは全員、忘れらない思い出を誰にも見つからないように大事に抱え、これでいいのだ、これしかないのだと言い聞かせ、平気な顔して生きるのです。
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東日本大震災発生10年に寄せ2020年8月に発売した書籍より一部を抜粋させていただきました。
書籍販売にあたりSNSやオンラインサロンで恋愛の体験談を募集し、そこに寄せられた実体験を基に僕が作者となり書かせていただいたノンフィクションの物語です。
僕も震災で大切な人を亡くしています。
でも、僕も彼と一緒です。とっくに傷は癒えました。
死別に限らず、生きていると本当にたくさんの出会いとお別れがあって、大切な人とのお別れであればあるほど心に深い傷がついてしまいます。
寝ても覚めてもしんどくて、気が付けばその人をことを考えてしまい、痛みとか、悔しさとか、情けなさとか、そんな感情が津波のように押し寄せ、その度に自分の中にあったその人の存在の大きさを気付かされ、喪失感に押しつぶされそうになります。
それでも人間の「忘れる」という機能は本当にすばらしくて、少し時間はかかるかもしれないけど、僕たちは色々なものをゆっくり忘れることができるのです。だから新しい恋愛ができたり、お酒を飲んでゲラゲラ笑ったり、だらしない顔でグッスリ眠れるのです。
大切なのは忘れることを許してあげることですよね。忘れることは決して薄情ではないのです。忘れることにOKを出すことができる、それは人間の強さなのです。
そして、そんなすばらしい「忘れる」という機能を使っても完全に忘れられない思い出は、誰にも見つからないところにこっそり隠しておいて、たまに引っ張り出しては眺めて、匂いを嗅いで、味わって、抱きしめて、泣いて、満足したらまた同じところに大事にしまい込んでも良いのです。大人が一所懸命生きていれば、そんな思い出がひとつくらいあってもよいのではないでしょうか。
そんな秘め事が僕たちの魅力なり、糧にだってなる。
そう信じています。
ありがとうございました
おしまい
抜粋した書籍
- 作者:ウイ
- 発売日: 2020/08/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)