「誕生日おめでとうございます!」がなんだかくすぐったくて、自分から「今日誕生日でーす」みたないことをSNSやブログや実生活で言わないようにしているのですが、先月、誕生日がありました。
こうやって月が変わった状態で書くのもちょっとくすぐったいです。
そんな誕生日。4連休の2日目。
恋人のいないアラフォー独身、独り暮らし歴20年のフリーランスは何をしていたのかと申しますと、わりと早朝に起きて、朝ご飯を自炊し、コワーキングスペースまで歩き、そこから22時くらいまで黙々と仕事をして、1時間くらい日課にしている夜の散歩をして帰宅です。
これは誕生日の光景です。
常備しているキンミヤとジンの補充と、夏だからシャリキンと、バイスが売っていなかったから代わりに男梅の原液。レジに並んでますね。ソーシャルディスタンスのマーク、ペンギンです。そうです、ドン・キホーテです。
4連休2日目の夜。ドン・キホーテは23時を回っているのに人が大勢いました。
ゴキブリ対策グッズのコーナーには明らかな部屋着のカップルが真剣な顔をして商品を吟味しています。おそらく、部屋にゴキブリが出て、キャーキャー言いながらここまで来たのでしょう。
そんな中、僕は誕生日だろうが咳をしようがひとりなのです。
あくまで通常運転を貫きます。無理に予定は入れず、かといって一人で特別なことはしない。高い肉も焼かないし、鰻も買わない。ビールだっていつもの糖質オフです。
もし、このブログを見ている人の中に誕生日を物音ひとつ立てずに過ごしていて、そのことに対して「寂しいな、みんなどうしているのかな」と思っている方がいたら、聞いてください。特に何かをしてあげられるわけではありませんが
「割とみんな同じです。一人で孤独を感じるかもしれない。でも、少数派でもなければ不幸でもないですよ」
ということだけは言ってあげられます。
これは大好きな漫画『最強伝説 黒沢』(著者:福本伸行先生)のとあるシーンです。
ここ、心がギュッとなります。
誕生日の夜、部屋でひとり、酒を飲んで、ソファで横になってここを読み返していたのですが心がもうギュ―――ッとなりました。
「最近もうダメです……」という突然の敬語のくだりよ。
この後、帰り道であるショッキングな出来事があり(興味ある方はコミック参照)、より打ちひしがれてしまう黒沢。
泣かなくてもいいのです。黒沢さん。
みんな、どうもしてないです。
数多ある灯かりの下で、ただ、あなたと同じように孤独を噛み締めているのです。
孤独は、普段はそうでもないくせに、誕生日にはここぞとばかりに襲ってきます。
誕生日になったその日から、孤独は僕らの背後にピタリと張り付き、24時間監視する。
スマホの通知があれば後ろから画面をのぞき込んでくる。
孤独「ヒヒヒ、仕事の連絡でやんすね。今、誕生日おめでとうの連絡だと思って一瞬、期待しましたよね。ヒヒヒヒッ」
僕は「別に自分から祝ってくれってアピールしないタイプなんだよ。38歳のおっさんが39歳になるのに誰が興味あるんだよ」と冷たく言い返す。
「ヒヒヒ、常日頃から『30代から年齢はただの記号。31歳から34歳は同じ年。35歳から39歳も同い年』って年齢を重ねる苦痛を和らげるのに必死ですもんね。わかりますよ、イヒヒ」
「今年の誕生日は4連休の2日目ですね、ヒヒ。あっちもこっちも人が多い多い。みんな連休を楽しんでますぜ。あっちはカップル、こっちは家族連れですね。あれあれ~、あそこの家族連れ、見てくださいよ。子供は5歳くらいで、お母さんはたぶん30代の前半で、父親は38か39歳ですかね、同じ年ですねイヒヒヒヒヒッ」
「そうやって意識していつもと同じように過ごすことがもう誕生日を意識しているってことなんですぜ、ヒヒヒヒッ。必死必死」
そうやってたっぷり24時間、背中でベラベラしゃべる。
僕はただ、いつも通り過ごす。
体重計に乗り、歯を磨き、コーヒーを飲んで、仕事をして、野菜を刻み、鶏肉を茹で、爪を切り、洗剤を詰め替え、可燃ゴミを出し、読みかけの小説を手に取り、ビールを飲む。
そして、24時になる。
傍目からは静かな誕生日が終わる。
「おっと24時だ。誕生日、終わりましたね。おめでとうございました。あっしはこれで失礼しやすが、来年、またお会いできますかね。イヒヒヒヒ。では、また、来年」
そうやって僕は、僕たちは、過ごしているのです。
44歳の黒沢さんほど孤独ではないかもしれない。
でも、黒沢さんとここに、大差はありません。
しかし、僕らは不幸ではないのです。
これは胸を張って言える。
黒沢さんはさっき「この数多ある灯かりのしたにいるのは…幸せ者ばかりってわけじゃないだろ……いるはずだ……俺のような齢男も……」と言いました。
孤独は不幸なのでしょうか。
結婚している人も独身の人も、恋人がいる人もいない人も、今の状態は、これまで自分が選んできたベストな選択の結果の状態です。
みんなその時、目の前にある選択肢から「この人とは付き合わない」とか「結婚する」とか「プロポーズを断る」とか「この人とはもう別れよう」とか「出会いに行こう」とか「マッチングアプリやめよう」とか、そんな選択をしてきたわけです。
数えきれないほど。
「えーーそんなことないよ。だって恋人ほしいけどコロナで全然恋愛できないんだもん」
という意見は通用しなくて、
「コロナ禍でもオンラインを駆使して、新しい恋人を作る人はいますよ。それをしなかったのはあんさんが『オンラインでも出会いを探す』か『やらない』の選択で、『やらない』を選んだ結果でやんす。ヒヒヒヒヒ」と論破される。
環境だけではなく、外見も全部そう。
太っているのも痩せているのもマッチョなのも、髪が長いのも短いのも、各々のベストな選択の結果なわけです。
これはもう反論の余地なんか1ミクロンもないド正論なのです。
あれもこれも全部まぎれもなく自分自身の意思。選択の結果。
誰かに相談したことがあったとしても、最終的に選択したのは自分。
だから、誕生日を孤独に過ごすのも、家族で過ごすのも、己が選んだ結果なのです。
これを、不幸と言ってしまうのはどうかと思うのです。
不幸だと決めてしまえば、それまでのベストな選択を、己自身の全否定。
もしかして、自分で孤独を選んできたのに、誕生日は愛する人に祝ってもらいたいというなら、あんさん、それは都合がよすぎるでやんす。そうは問屋が卸しませんよ。ヒヒヒヒ。
そうやって、誕生日の僕は、僕自身に言い聞かせていたのです。
勘違いしないように、都合の悪いことに目を背けないように、自分自身に強く、何度も言い聞かせていたのです。
20代よりもはるかに楽しかった30代もラストイヤー。
この30代のラストダンスを、どうやって過ごすか。
少なくとも来年、もうイヒヒと笑う孤独に会わなくてもいい選択ができますように過ごしたいと思います。
過ごせますように。
ありがとうございました。
おしまい
3冊目の書籍が発売されました。よろしくお願いします。
毎月15回くらい会員限定ブログ更新しています。
7月は1か月で20回のブログを更新しまして、文字数だけ見ると書籍1冊分をはるかに超えまず。1か月だけでもどうぞ。