女の愛し方

いわゆる自己啓発の類が得意ではありません。

仕事関係の方々から自己啓発系の本をお勧めされたり、いただいたり、あとは参加している研修の兼ね合いで絶対に読まなきゃいけなかったりするので、量はたくさん読んでる方だと思うんですけど、すごく勉強になることがある一方で、腑に落ちないことも多々あります。

成功者が書いた本に「こう生きろ」「こう考えろ」「○○歳までにこれやれ」「掃除しろ」と言われても「知らんがな」というのが正直な感想です。

素直じゃない性格だからでしょうか。

 

そういえば、元陸上選手の為末大さんは

「成功者の言葉しか世の中には残らないから「やればできる」が格言になる」と言いました。

為末さんの言うとおりです。

だって、どうしようもないことって沢山あるじゃないですか。

僕たちが何か新しいことにチャレンジしようとすると、たとえばお金とか、時間とか、覚悟とか、きっかけとか、いつも何かが少しずつ足りなくて。

でも、それでも夢を見ていた日々とか、何かを成し遂げるために努力した日々こそが財産なのです。たとえ夢は叶わなかったとしても。

 

 

先日、僕は半年かけて進めていたコンペで他社に負けました。

残務処理で今日は祝日ですがオフィスでこんな時間まで働いていました。ゴールデンウィークも仕事で半分無くなりました。

目標は達成できませんでしたが、立派な経験値を手に入れたと思っています。

このままいくと僕はいつか成功者となり「○○歳までこれやっとけ!」みたいな本を出せるくらいになれると思います。

 

  

(?)

 

 

前置きが長くなりましたが、そんな自己啓発苦手な僕が最近すごく(なるほどね言うとおりだね目からウロコだね)と感じた文章があります。

 

 

ボブマーリーの言葉です。

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(笑顔がステキ!)

僕はレゲエをあまり聴かないのでボブマーリーは「レゲエのすごい人」という認識しかありません。でも、先日、友達がジャマイカに旅行に行き、おみやげにコーヒー豆をリクエストしたんですけど、その包み紙に書いてあったボブマーリーの言葉が素晴らしすぎました。

 

それは「女の愛し方」という愛の言葉(というより文章ですね)なんですけど、その名のとおり男はいかにして女を愛せばいいのかが綴られています。

それが、なんかすごくいいこと言ってるんですよ。

心に刺さるんですよね。

 

原文(英語)はココの「You may not be her first…」から始まる言葉です。

↓英語堪能な友達と一所懸命僕なりに訳しました

 

君は彼女にとって最初の男でも、最後の男でもない。

ましてや、唯一の男でもないのかもしれない。

彼女は何度も繰り返し恋をするからね。

でも、今、彼女は君を愛している。

それなのに君は何が問題だって言うんだい?

 

彼女は完璧じゃない。君だって完璧じゃない。

だから、どんなに時間が経っても完璧な二人になんかなれやしない。

でも、彼女が君の事ことを笑わせてくれたり、物事をよく考えるきっかけになってくれていて、たとえば君が一人の人間として時に間違いを犯すことも許してくれるなら、君は彼女を離さず、君がしてあげられることをしてあげよう。

 

彼女は一日中君のことを考えているわけじゃないけど、君に大切なものを差し出してくれる。それは君に簡単に壊されてしまうかもしれない彼女の「心」だ。

だから彼女を傷つけてはいけない。

彼女のことを変えようとしてはいけない。分析もしてはいけない。

彼女が君に差し出してくれる以上のものを望んではいけない。

 

彼女が君を幸せにしてくれたのなら素直に笑おう。

彼女が君を怒らせてしまったのなら正直に伝えよう、彼女がいなくなったら寂しいということを。 

 

女は男の浮気を許し、男は女の浮気を許せない傾向があると言われいます。

確かに周囲を見ても、男のほうが浮気しやすいくせに独占欲は強いと思うことがあります。

どうやら女性よりも、僕たち男性のほうがずいぶん女々しいようです。

決して女性の浮気を許せと言っているわけではありません。

僕たちは、僕たちがしてあげられること以上のものを女性に求めているのではないでしょうか。

彼女自身も、彼女の人生さえもできれば自分ひとりで独占できたらいい、と。

時には腕力に物を言わせて。

 

 

アンフェアです。

 

 

最近(ようやく)買ったボブマーリーのアルバムに「ONE LOVE」という曲が入っていました。

 

世界には悲しみがあふれているけど、たったひとつの愛、たったひとつの心を、大切にしよう。という意味の歌だと僕は受け止めました。

 

奥さんがいる人、彼女がいる人はもちろん。

片思い中の人、今は恋をしていない人も。

ボブマーリーの言うように、たったひとりの女性を、たったひとつの愛を、たったひとつの心を、フェアに、愛しましょう。

 

 

 

 

7名の女性と11人も子供を作ったボブマーリーの言うことなら間違いありませんから。

 

 

 

ありがとうございました

 

おしまい

 

4年以上彼女いない32歳独身のくせに女性からの告白を断った悲しい話

去年の12月、女性から面と向かって「好きです」と言われました。f:id:ui0723:20080807190423j:plain

彼女いない暦4年以上の32歳ですがお付き合いはお断りしました。

周囲からは沢山のご意見をいただきましたが、僕なりの苦悩があり主張があったんです、という話です。

 

その人とは去年の秋に出会いました。

僕が会社の取引先(34歳独身男性)と飲んでいたら、取引先の人が泥酔してしまい、迎えに来た妹さんがその人でした。

その人は何度も「兄がすいません」と頭を下げ、真っ白なミニクーパーに泥酔した兄を押し込んで去っていきました。

その後、偶然街で会うことがあり、連絡先を交換し、食事に誘われ、デートみたいなことは1回もしなかったんですけど、2回目の食事の終わりに好きだと伝えられました。

 

告白が予期せぬものだったということもあり、その場で返事はしなかったんですけど、その後の僕といったら、空の色がいつもより青く見えたり、食事がおいしく感じたり、道に咲いている名も知らぬ花に愛しさを感じたりしていました。

ようするにニヤニヤしていたんですけど、きっと石とか投げられても

「へへ、よせやい…よせったら…いてて、やめろやい…」

とか言って笑って許していたと思います。

 

その人は、ひいき目無しで見ても大変美しい顔立ちの女性です。

芸能人で言うと榮倉奈々さんに似ていて、似ていると言うかほぼ本人で(よく似ていると言われるそう)、正直、めっちゃタイプです。

ルックスだけではなく、スタイルも抜群で、髪の毛ツヤツヤ、性格は明るくて、頭も良く、何より真面目な女性です。

 

彼女いない暦4年半。32歳独身。恋人欲しい。結婚願望もある。

断る理由はありませんでした。

 

でも、その人と真剣に向き合ったときに、付き合う理由が無かったのです。

具体的に言うと、その人との未来を想像することができなかったのです。

 

その人の年齢は26歳。

2年間の海外留学の経験があり、医学の道に進むために大学で勉強をしています。

要するに学生なのです。

来年、国家資格の試験があり、合格すればその後社会人になります。

だから、これはしょうがないんですけど、言葉使いとかマナーとかが社会人に比べるとずいぶん幼くて、世間を知らなくて。

そして、家がめっちゃお金持ちで、お酒が飲めなくて、生ものが苦手で、動物が苦手で。勉強が超できて、お菓子作りが得意で、運動は苦手で、身体があまり強くなくて、実家から出たことがなくて、仕事はもちろん、アルバイトすらしたことが無くて。

 

一方の僕は、32歳で、独身で、毎日お酒を飲んで、生ものが好きで、動物が好きで、勉強は苦手だけど運動は得意で、健康で、14年独り暮らしをしていて、毎日夜中まで仕事をして。そして、次に付き合う人とは結婚したいと思っていて。

そうなると、やっぱり結婚はできないのかなって。

 

下半身の勢いで生きていた頃なら絶対に付き合っていました。

でも、僕が32歳で結婚を意識し出したから、あんなに美しい人からの告白すら断らなくてはいけないのかと。

 

周囲からは

「考え直せ」

「とりあえず付き合ってから考えればいい」

「その人も社会に出るんだから変わっていくよ」

と言われました。

確かに。それも分かります。

その人も社会に出て、数年も経てば立派な大人です。

でも、その時、僕は何歳でしょうか。

恐らく38~39歳になっているんじゃないでしょうか。

 

もっと僕が若くて、一緒に社会人になり、一緒に大人になれれば良かったんだと思います。

 

GLAYはHOWEVERという曲で「出会うのが遅すぎたねと、泣き出した夜もある」と唄いました。

TERUさん、HOWEVER出た頃、僕は14か15歳だったからその時は分からなかったけど、今なら分かります。

 

 今回のブログ、人によっては(何言ってんだこいつ?)と言われそうな内容ですが、これは僕のような結婚から目を背け生きてきたタイプの独身アラサーアラフォー男女が持つ、根深い 、すごく根深い問題だと思うんです。

 

 

僕たちは、独身を謳歌する代償に恋人の選択肢を毎日少しずつ狭めているのです。

「恋愛と結婚は違う」頭では充分理解していたつもりですが、なるほどこういうことかと身をもって理解した、という話です。 

 

 

 

 

 

 

だって、毎日が楽しいのです。

 

 

 

 

 

 

めっちゃ楽しいのです。毎日が。

 

 

 

 

独身で過ごす30代40代の生活の楽しさは異常なのです。

 

生活の全ての決定権が自分にあるということ。何を買うも何を食べるも自分に責任があるという自由。

お金も若いときに比べれば手元にあるし、仕事もやりがいを感じたりして。

独身の友人との交流、趣味に費やす時間とお金。

周囲も晩婚化だし、友人達は離婚もしている。

 

 

僕らは「結婚したい」「恋人ほしい」と嘆きながらも、本当は(ベイビー結婚なんかまだ先だぜ)と孤独に過ごす毎日を愛しているのです。

 

 

今回の一件で、僕の選択肢は毎日少しずつ狭まっていることを身をもって知りました。ツケが回ってきたことを痛い思いをして知りました。

 

 

誰か僕に石を投げてください。

きっと今度は「へへ、よせやい…よせったら…へへ…やめろやい…」って言いながらボロボロと涙を流すと思います。 

 

ロマンスの神様、もういいんです。映画やドラマのような運命的な出会い、いらないです。大丈夫です。ありがとうございました。あと、せっかくセッティングしてくれた出会いにちゃんと向き合ってこなくてすいませんでした。

 

ずうずうしいお願いなんですけど、年齢は問わないので、たくましく生きていて、お酒も動物も生ものも好きな女性、お願いします。

健康で、人生の酸いも甘いも一通り経験した女性、お願いします。

長澤まさみに似てなくてもいいです。

巨乳じゃなくてもいいです。

目の大きさとか、メイク時とすっぴん時の差とか、気にしません。

寝顔、ブサイクでもいいです。

でもできれば美脚の人がいいです。

もう「40歳くらいまでに結婚できればいいや」とか言いませんから。

「少し本気出せばすぐに結婚できる」とも言いませんから。

 ファッション感覚で「恋人ほしい」って言いませんから。

 

 

あと、ここで言っても届かないのは百も承知なんですけど、お付き合いできなかった美しい人よ、国家資格の試験がんばってください。超がんばってください。応援しています。密かに応援してます。そして、僕の知らない場所で、知らない人と、最高に幸せになってください。

 

 

ついでに、最近その人から来た「模試の結果悪かったー」(+猫が落ち込んでいるスタンプ)というLINEを既読のまま放置している自分、がんばれ。超がんばれ 。

 

 

ありがとうございました。

 

おしまい

 

 

 

 

※ずいぶん前にTwitterの童話さん( @tatanai_douwa )発刊の雑誌「くらいせる」にコラム書かせていただきました↓

くらいせる 創刊号 (くらいせる)

くらいせる 創刊号 (くらいせる)

 

 

上戸彩のことはHIROに任せるのがベスト、という選択

最近、忘れがちになってしまっていることを忘れないようにブログに書きます。

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僕は、いつだって自分にとってベストな選択をして生きています。

僕だけじゃなくて、誰もが、いつだって自分にとってベストな選択をして生きています。

 

どうも最近これを忘れてしまいます。

 

例えば、今の会社に勤めていること。入社したい会社をピックアップし、試験を受けて、合格した会社の中から自分にとってベストであると判断した会社で勤めているわけです。

 

例えば、結婚している人。沢山の異性の中から自分にとってベストだと判断できる人と結婚したわけです。

「いやいや、俺は本当は上戸彩と結婚したかったんだよ」

と言う人がいたとします。

でも、本当は上戸彩と結婚したかったけど、出会うまでの労力や恋に落ちる可能性とそれに費やす時間やお金、そしてHIROのフィジカルを考慮すると「上戸彩ではなく、今の嫁のほうがベストな選択」だったのではないでしょうか。

 

しかし、世の中には転職や離婚が存在します。

これは当たり前なんですよね。「就職しよう」「結婚しよう」という選択も「転職しよう」「離婚しよう」という選択も、その時の自分にとってベストな選択だったわけです。

数年前は「この人と生きていくのがベスト」と判断したから愛を誓ったとしても、数年後には「この人と生きていかないほうがベスト」に変化したりします。これを「あの時はこう言ってたじゃないか!」なんて責める人がいますが環境や心境でベストな選択は変化するから、しょうがないのです。

 

このように時と場合によって選択する内容は変化しますが「自分にとって最善の選択をしてる」

いつだってこれは不変なわけです。

 

だから、安楽死を選んだ人も、電車に飛び込んだ人も、その時はきっと「死ぬのがベストな選択」という判断だったはずです。

きっと、人を殺した殺人犯も、盗みを行った人も、その時はそれが自分にとって最善と判断したから殺したのではないでしょうか。 

 

これを、忘れてはいけないなと、思いました。

 

もちろん罪を犯すことは疑いようもない「悪」です。

しかし、法律的、人道的には「悪」でもその人にとっては「最善」ということがこの世には往々にして存在します。

 

つまり、長々と書きましたが、何が言いたいかと言うと

 

僕にとって最悪の選択が、その人にとっては最善の選択だったりすることがあるということです。

  

 

これは、しょうがない。

だって、その人にとって、それが最善なんですから。

 

だから、僕たちは、子供や部下や友達や恋人や家族が、自分にとって悪い行いがあったとしても、彼らや彼女らにとってはそれが最善な選択肢であったことを認識し、受け止めなければなりません。

 

大きな声で叱ったり冷たい言葉で責めたり陰で悪口を言う前に、一呼吸置いて考えなければいけないのは「なぜその人はその選択肢をベストだと思ったのか?」なのかもしれません。

 

そして同時に、過去の自分の行いに後悔していたとしても、その時の自分にとってはそれがベストな選択だったということを考えれば、今よりも沢山のことを、もしかしたら、憎んでいた誰かすらを許せるようになるのではないでしょうか。

 

30代になり、仕事での立場や役割が変わり、プライベートでも接する人が変わってきている今、僕はこれを忘れないようにしなくてはならないな、と感じる今日この頃です。 

 

 

忘れませんように。 

 

 

あと、ひょんなきっかけで上戸彩と知り合えますように。

 

 

 

おしまい。

 

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