満たされないまま引きずり回して歩け

先日、友人からLINEです。

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 ※掲載の許可とってます

 

なんなん?急に。

なんなん?

無理。

もう、無理。戻れない。手遅れ。

だって、僕は3万円するシャツの着心地を知ってしまった。

ニューバランスのスニーカーの履き心地を知ってしまった。

それらを買って得られる満足感を知ってしまった。

着飾る楽しさを知ってしまった。

 

サッポロ一番の味も、高い寿司や肉の味を知ってしまった。

 

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「じゅうぶん退屈じゃない人生」とは。

一度設定した生活のレベル、それぞれの幸せの形、他人からの評価、そんなことなんでしょうか。

 

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知らんがな!!

 

なんでこんなに袋ラーメンのくだりが刺さるのか、考えたんですけど、理由なんか人によって違うんでしょうけど、怖いんだと思います。

気付かないふり、見ないふりしているものが明確になるのが。

 

あるところに28歳のいわゆるキラキラ女子がいました。彼女は合コンや化粧品やブランド物にお金をたくさん使い、幸せをつかみに行こうと一所懸命でした。

またあるところには同じく28歳の洋服はいつも同じ、化粧も最低限、ブランド物には興味が無く、趣味は海外旅行という旅人女子がいました。

キラキラ女子は旅人女子を「ダサいし、もてない」と思っていました。

しかし、ある日、キラキラ女子は違和感を感じたのです。

旅行女子は旅先で出会ったおしゃれではないけど、健康的で、商社や広告代理店には勤めてないけど、素朴で優しい男と30歳で結婚します。

自分のほうが満たされた生活を送っていると信じていたのに、SNSの友人の数も多いはずなのに、何より自身が自分の生活に満足していたはずなのに。

思っていた通りに振舞ったり、経験を積んできたはずなのに。

 

別にキラキラ女子が悪いとか、そんな話ではありません。

 

何の疑いも無く歩いてきた道に違和感を感じることが怖いのです。

気付いちゃうことが、怖いのです。

 

僕で言うと、毎日こんなに長時間働いて、真っ暗な部屋に帰って、お酒を飲んで、寝て、何が手元に残るんだろうという恐怖です。

 

 

僕にLINEを送ってきた友人は幸せな家庭を築いています。

僕から見たら幸せを絵に描いたような家庭です。

 

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 まんじゅうと同じくらい怖い!

 

もう、それなら進むしかないんですよね。

満たされないまま、引きずり回して歩くしかないんですよね。

 

各自、がんばりましょう。

 

解散!

 

ありがとうございました

 

おしまい

他人になりつつある親、僕の中のカウントダウン

 

僕は山形という東北の田舎で生まれました。

四方を山に囲われ、1年のうち3分の1は雪に埋もれ、短い夏には蛍が飛ぶような田舎です。

 

18歳で東京に上京し、23歳くらいで名古屋に移り住んで10年が経過しました。

親元から離れて早15年くらいです。

 

この15年の間に両親と顔を合わせた回数は約20回です。

名古屋に住んでいると、どうしても実家までの距離が遠くて、帰省がおっくうに感じたりすることもあります。

プライベートな予定や仕事も忙しく、1年に1回の帰省がやっと、というのが現状です。

 

でも、このペースだと、日本人の平均寿命から考えてみたら、僕の両親が僕の顔を見るのはこの先の人生であと20回くらいです。

 

これは、毎日親の顔を見ている人からしたらたった20日間の回数です。(当然ですね)

この真実はこの先、変えることはできません。

 

もっと帰省する回数を増やせばいいじゃないか、と思う人もいると思います。

その通りです。

でも、仕事やプライベートな予定を差し置いて、全ての大型連休を帰省に使うことは、ちょっと難しいです。そういう環境で僕は暮らしています。

 

もう一つ、目を背けてはいけない真実があります。

それは、僕はもう二度と実家では暮らせない、という真実です。

これは、心理的なものです。

 

僕の中で両親は「遠くに住んでいて、1年に1回か2回会って、4日くらい一緒に過ごす」という存在になっていて、それを今から「一緒に住んで毎日顔を合わせる」という状況には戻せないのです。

 

何年か前の帰省の際に、実家がずいぶんと居心地悪く感じることがありました。

早く独り暮らしする自分の部屋に戻りたいと思ったりもしました。

僕の考え方や、価値観が変わってしまったからなんだと思います。

 

田舎で山菜や雪と暮らす両親、兄弟。

都会のマンションで暮らす自分。

 

親に与えられた生活のリズムや、価値観は、自分の生活によって確実に塗り替えられているのです。

 

Twitterのタイムランや周囲の友人の様子を見ていても、僕と同じようなことを感じている人は少なくないように感じます。

 

もちろん、親は親であり、唯一無二の存在です。

僕が殺人事件を起こして、刑務所から出所しても、親だけはご飯を食わせてくれると信じています。

 

だからこそ、何かを変えなくちゃと思います。

自分の価値観が変わったのなら、変わったなりに何かを始めなきゃ、と。

僕の中で他人になりつつある愛すべき親、会える回数のカウントダウンを気にしながら。

 

混雑する新幹線ホームでインタビューを受ける親子。

そんな風景をテレビで見ながら、きっと孫って、そんな親子をつなぐための重要な役割を持っているんだ、と今更感じたりしました。

 

とりあえず、普段何も親にしていない僕は、孫の顔を見せてあげれるのはまだ先なので、親にお年玉を渡すことから始めようかなと思います。

 

ありがとうございました。

 

おしまい

 

 

 

※1年間沢山の方にブログを読んでいただきました。叱咤激励のご連絡も多数いただきました。また来年もたまに更新するのでお時間あるときにお付き合いください。

ありがとうございました。

みなさま、良いお年を。

1年間おつかれさまでした

着ない服を買った。

読まない本も買った。

 

「また会いましょう」とか「今度飲みに行こうね」とか適当な約束をした。

その場しのぎのウソもついたし、誰かの悪口も言った。

自分を賢く見せようとした。

作り笑いをした。

心にもない「すいません」を言った。

 

お腹が痛い日もあったし、風邪もひいた。

痩せたり、太ったりした。

肌が荒れたり、髪が傷んだり、爪が割れたりもした。

 

つまらない理由でケンカした。

大切な人とのお別れがあった。

 

人間関係に嫌気がさした。 

嫉妬して、軽蔑もした。

誰にも気付かれないようにこっそり独占した。

他人の不幸を願ったこともあった。

自分にとって都合の悪いことは、もう忘れた。

 

いつも何かが足りませんでした。

時間や、お金や、覚悟や、きっかけが足りませんでした。

 

いつかの再放送のような日々だった今年が終わろうとしています。

 

 

それでも、僕たちは去年よりほんの少し、成長しました。

この1年で、これっぽっちかもしれないけど、成長しました。

 

満員電車に乗ったり、早起きしたり、深夜までがんばった日がありました。

誰かに贈るプレゼントで悩んだりしました。

おいしいものをお腹いっぱい食べました。

身体にいいことをしました。

誰かのことを好きになったり、好きになられたりしました。

大切な人の誕生日や結婚や出産をお祝いしました。

親や家族のことを想いました。

自身の行動や発言に、きちんと反省しました。 

全然大丈夫じゃないのに、心配かけまいと「大丈夫!」と言いました。

 

理想と現実の間で苦しみながらも、

生きるということから、逃げませんでした。

 

もう360回以上も夜を越えました。

一所懸命でした。

立派でした。

 

がんばりました。

本当にがんばりました。

僕たちは、充分がんばったのです。

 

他人からはなかなか褒めてもらえないかもしれませんが、いいじゃないですか。

報われなかった努力や、歯を食いしばったことは、自分だけは知っていますから。

 

だから大丈夫。

きっと大丈夫なのです。

今は、今年の自分にOKを出しましょう。

 

あとは来年の自分に任せしましょう。

ゆっくり休みましょう。

 

ビールでも飲んで、

好きなものをお腹いっぱい食べて、

目覚ましをかけずに眠りましょう。

 

大丈夫ですから。

今年よりほんの少し成長した自分が、またがんばってくれますから。

泣いたり笑ったりしながら、また365回、夜を越えてくれますから。 

 

おつかれさまでした。

1年間、おつかれさまでした。 

 

 

 

 

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