若者のすべて、おっさんのすべて

今年は本当に沢山の若者と接する機会がありました。

会社で人事を兼任しているので、自社の会社説明会や面接で沢山の学生さんと接したのですが、ひょんなきっかけで大学に呼ばれて、学生さんたちといろんな議論をさせていただく機会をいただきました。つい先月も、就職して1~5年目くらいの同業で働く若者向けの「仕事に関する相談会」みたいなものに呼んでいただきました。

そんな交流を通して僕が感じたこと、学んだことを書かせていただきます。

 

まず、最近の若者について確信したことがあります。それは

 

 

 

 

 

 

若者、めっちゃ貧乏

ということです。

 

 

 

  

若者、本当にお金持ってません。

ゆとり世代、脱ゆとり世代、さとり世代と言われる若者は、間違いなく団塊の世代、バブル世代、氷河期世代が若者だったころに比べて貧乏です。

僕たちが若者だった時も手元にお金はありませんでした。めっちゃ貧乏でした。しかし、今の若者は間違いなくもっと貧乏です。

経済状況、奨学金、そもそも親がお金を持っていない、理由を挙げたらきりがありませんが、事実として間違いなく財布はすっからかんです。

一方で、若者の貯蓄額は増えている、というデータもあります。しかし、それが事実でも、その貯蓄は将来があまりにも不確定で、恐らくは使えないお金なのです。

「お金を持っていない」よりも「使えるお金が減っている」という言い回しが合っているのかもしれません。

 

よく「若者の●●離れ」と言われています。

具体的には「若者の車離れ」「若者のお酒離れ」「若者の旅行離れ」など、若者の消費の落ち込みを「若者の●●離れ」と表現します。

最近、様々なメディアで「若者の●●離れとは、若者がお金を持っていないから」という記事を目にします。その通りだということを若者達は僕に教えてくれました。

証拠に、少なくとも僕が接した若者たちは明確に欲がありました。ロードバイク、ハワイ旅行、miumiuの財布、パソコン、洋服、化粧品。

欲しいけど、欲望はあるけど、使えるお金がないから買えないのです。

「若者のタバコ離れ」「若者の就職離れ」に関してはどこからつっこんでいいのか分かりません。

でも、お金がなくて欲しいものが買えなくても、今の若者は大丈夫なんです。

世の中に物があふれすぎているからです。

本当に欲しいものじゃなくても、安い代替品で満足できてしまうのです。

 

ここまで書いたことって、若者からしたらあまりにも当たり前すぎることなんですけど、驚くほど沢山の大人はこのことを分かっていません。だから「若者は欲がない。弱体化している」「ゆとり、草食系」そう信じている大人はたくさんいます。

だから、若者は世の中の大人たちに「かつて自分があれほど愛した物(車やギャンブルや酒やタバコや女やワイルドで破天荒に見える生き方)を今の若者は愛せないのはけしからん!弱体化だ!君達は!本当に!欲がないな!!」

と言われたら困った顔したり「はぁ…」なんて答えたりしないで

「欲しいものはめっちゃあるんですけど!使えるお金が無いので!!がまんしたり代替品で満足したりしてます!」

と言ってください。

できれば元気に!

 

 

そもそも情報量が多いのです。

めっちゃ情報量が多いのです。

もう、本当に情報が多すぎるのです。

世の中の疑問は手の中のgoogle先生が全て教えてくれます。

パチンコのコスパの悪さを教えてくれて、パチンコより楽しい無料のゲームやSNSを提供してくれます。見逃したドラマ、好きなバンドの新曲、エッチな動画も全て無料です。

 

そして、情報量が多いからこそ、時には将来が必要以上に鮮明に見えてしまったり、逆に何も見えなくなったりして、不安を感じてしまうんだと思います。結果、消費に消極的になっていまい「欲がない」と言われるのです。

大人しい若者達が増えたのも事実なんでしょうけど、荒ぶる必要性が無くなったんだと思います。ガツガツしなくても、多くのものは「情報」という形で手に入るのです。そして、その情報の中には「草食系」という言葉を作り、貧乏で常識が無い若者を教育してきたは大人たちだということも入っているのです。

 

 

そして、もう一つ確信したことがあります。

 

 

 

 

 

 

 

若者たち、正解が分かっていない。

 

 

 

 

 

僕が小さかった頃、周囲の大人たちはバブル期を謳歌していました。

多くの大人たちは「大人になったら楽しいことがたくさんあるからね」と言ってくれました。しかし、大きくなるにつれ、誰もそれを言わなくなりました。言ってくれなくなりました。

代わりに「たくさん勉強していい大学に入って大きな会社に入らないと、すごく苦労するよ」と言われました。

もう少し大きくなると「大きい会社や銀行がつぶれる時代だから、公務員を目指すといい」と言われるようになりました。

それがいつしか「就職先があるだけ幸せなことだ。とにかく正社員になれ」と言われるようになりました。

これはほとんどの親が、先生が、塾の講師が言ってたのではないでしょうか。

でも、それでも「幸せになるために今、君がやるべきこと」という正解を大人たちは常に提示してくれました。

その正解は(正解かどうかは置いておいて)いつも非常に明確でした。

 

今はどうなんでしょうか。

 

例えば、20年くらい前は「勉強、良い大学、大企業、出世、結婚、子供、ペット、家族旅行、マイホーム」という生き方こそが「明るい未来」であり、そのために「やるべきこと」が明確にありました。

 

しかし、名のある大手企業が希望退職者を募り、自社ブランドや不動産をバンバン売却しています。食品への異物混入を公表せず、品質検査の不正や粉飾決済が明るみになっています。

ニュースや新聞では「景気は良くなっている」「最低賃金の上昇」「ボーナス3年連続増額」「平均年収は下がり続けている」「3人に1人は非正規雇用」「就職活動は売り手市場」と伝えます。「ノマド」「ワーキングプア」という言葉が次から次へと生まれます。

世の中にある会社の99%が中小企業で、中小企業の70%が赤字です。

毎年10万人以上が自殺していると言われており、15歳~34歳の人たちの死因のトップは自殺です。

 

もはや誰も「正解」が分からないのです。

誰も若者に「幸せに生きるためにやるべきこと」を明確に示すことができなくなってしまったのです。

僕はいつか自分の子供に「どう生きたら幸せになれるの?」と聞かれたらなんて答えるのでしょうか。 

 

若者だけではありません。

大人たちもまったく一緒です。

 

 

いえ、一緒ではありませんね。

 

若者よりも、僕たち大人たちのほうがはるかに絶望的な状況です。

若者は何度かやり直しができるかもしれませんが、多くの 大人たちはやり直しができないからです。

これだけ物や情報が溢れている社会において、僕たち大人の経験値や知識はどれだけの価値があるんでしょうか。若者たちが手にしている多くの情報よりも貴重なものだと言いえるのでしょうか。

 

僕は、一生を逃げ切るための充分なお金を持っていません。生きていくのに一生困らない資格や技術も持っていません。

昨日と同じような今日を、今月と同じような来月を、今年と同じような来年を、何とか続けていくことに精一杯です。

 

 冒頭で述べた若者達との交流で、何人かの若者から「今後、どのような人生プランを立てているのですか?」という未来の質問をされました。

 

僕は、本当にやりたいことはあります。でも、それらをの願望や希望を口にすればするほど、どこかしらけていく自分もいました。

 

夢とは?現実とは?

理想の人生とは?妥協する人生とは?

妥協の先にはどんな幸せがあり、どんな絶望があるのか? 

 

すいません、明るい未来ってこの道で合ってます?あ、やっぱり4年前のあの角を左でしたか。 

でも、こっちに行っても何かしらの幸せありますよね?え?行ってみないと分からない?じゃあ戻ったほうがいいですか?

自分で決めなきゃいけませんか?

みんなちゃんと自分で決めてるんですか?

 

 

僕は若者を擁護しているわけではありません。

 

長々と書きましたが、結局何が言いたかったと言うと、

(自分の人生は、ワールドカップやハロウィンのたびに渋谷でギャーギャー騒ぐ若者や、夜中にドンキホーテの駐車場で待ち合わせするマイルドヤンキーや、もやしのようにヒョロヒョロして二次元にしか恋できない若者より充実しているはずだし、これからも彼らよりはマシな人生を生きるはずだぜベイビー)

という根拠無き自信と、意味の無いなぐさめを止めないと、いつか何かに、何者かに、もしかしたら自分が掘った穴に、足元すくわれちゃうなっていうお話でした。

 

忘れませんように。

 

ありがとうございました。

 

おしまい

仕事は楽しい、と言うのは間違っているんでしょうか

すごいことに気付いてしまった気がして、とても140字じゃ足りない気がするし、今のこの気持ちってめちゃくちゃ大事なのでは?!って思ったので、忘れないようにここに書いておきます。

 

今日は3連休の最終日ですが僕は仕事をしていました。昨日も一昨日も出社して仕事をしていました。

9:00に起きて洗濯をして、10:00頃に天気はいいけど少し寒い中を自転車でシューッと会社まで来ました。

 いつもは賑やかなオフィスには誰もいなくて、僕は朝から黙々と仕事をしていました。お腹が空いて、コンビニで買っておいたおにぎりを2つ食べて、コーヒーをいれて、黙々と仕事をしていました。

イヤホンで音楽を聴いていました。

たまに、アルバムが終わって、また違うプレイリストやアルバムの再生ボタンを押します。

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ふと、気がついたら夜でした。外はもう真っ暗です。驚きました。本当に「さっき昼飯食ったのに気がついたら夜」でした。浦島太郎の気持ちが分かったような気がしました。浦島太郎うろ覚えですけどね。

 

携帯を見ると、僕が以前働いていた職場の後輩からLINEが届いてました。

「会社やめたくなりました。昨日も今日も服売って、明日も来年も服売って、夏はTシャツ売って、冬はコート売って、1年に3回くらいセール前の準備で徹夜して。大手というだけで何かに期待しすぎてたのしれません。もっと変化のある仕事が…なんちゃらかんちゃら」と。優秀な先輩を見ても、自分と同じような仕事を同じような給料でやっている。店長や本社のバイヤーになれる人なんかほんの一握り、彼氏も結婚する気ないみだし、なんちゃらかんちゃら…と続きます。

 

 

「めっちゃ恵まれてるな、僕」

 

  

と思ったわけです。

洋服屋さんの仕事が良くないという意味ではなく、

「時間を忘れて没頭するくらい夢中になる仕事がある僕は、もしかしたらめちゃくちゃ幸福なのかもしれない」

といった意味で、僕は恵まれていると思いました。

 

休日も働いて、毎晩朝から終電無くなるまで働いて、会いたい人たちにもなかなか会えず、責任と義務だけは多く、そのくせ権限はほとんど無い。給料も怖くて時給換算なんかできない。こんな仕事辞めてやる!って思うこともいっぱいあります。トラブルが起きれば(ああ、地震かなんかでうやむやになればいいのに)と不健全な気持ちになったりもします。でも、辞めずに、こうやって歯を食いしばって働いている。

 

僕は、仕事は楽しいか?と聞かれれば胸を張って「楽しいです!」と言いたい、本当は。

「月曜日は憂鬱だし、理不尽なことが多くて、思う通りにならないことばかりで本当にストレスだらけだけど、仕事は楽しい!!」と言いたい。

でも、仕事は楽しくあるべきだけど、みんなそれを望んでいるけど、「仕事は楽しい」と言ってはいけないような、そんな雰囲気があるような気がします。辛いほうがおもしろいからでしょうか。ネタになるからでしょうか。

 

ほとんどの人が、今日と同じような仕事を明日もやって、来週も、来月も、来年も同じような仕事をやって、人生が終わる。途中、転職したり、仕事をしない期間があったりしながらも、結局は大して変わらない日々を過ごして、矢のようなスピードで毎日は過ぎて、ころころ季節は変わって、老けていく。僕も当然この中にいるわけで、でも、そんなの悔しいじゃないですか。無念じゃないですか。それだったら楽しまないと、何しているかわけ分からないと思うわけです。

 

だから、もしこの文章を読んでいただいている人で、今の仕事が苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて、あなたがそんなにがんばってがんばってがんばってがんばっても気持ちが悪い方向に進むのであれば、辞めて、違う仕事をしてほしいと思います。

 

誰がなんと言おうと、仕事は楽しい。

楽しめるようにできています。

楽しめる仕事があるはずです。

 

僕は、たとえ今の仕事を辞めても、どんな仕事でも楽しんでみせる。

なぜなら、仕事を楽しめない男性はかっこ悪いと信じているからです。

 

 

忘れませんように

 

 

ありがとうございました

 

 

おしまい

愛をこめて花束を

よく「楽しそうに仕事しますね」と褒めていただくことがあり、僕はその度にだらしなくデヘデへ言いながらシッポを振っています。それが取引先の美人なんかだと、うれションするくらい嬉しくて、もっと仕事がんばろうと思うわけです。

 

「ストレスとか感じないんですか?」と聞かれることが多く、「もちろん感じますけど、なんとか楽しんでやってます」と答えるようにしてます。

(いやいやいや、ストレスあるよ、あるある。感じてないわけないじゃないすか)と考えながら。 

 

何年か前のことなんですけど仕事の取引先にとんでもない迷惑をかけてしまいました。僕のミスが原因です。

約1ヶ月、無休で足と頭をフル回転させました。何度も徹夜しました。円形脱毛症にもなりました。何とか鎮火させ、今後の対策を取引先に説明しに行き、謝罪し、その帰り際、偶然廊下で先方の会長さん(78歳)にお会いしました。

会長さんは全てを知っていて、僕に「この1ヶ月でずいぶんやつれましたね。ストレスもあっただろう。必死になってくれてありがとう」と言い、肩をポンと叩き「お疲れ様」と言ってくれました。

帰りの新幹線で、うれションする代わりに、少し泣きました。その時(うわぁ……あの一言で、ハゲるほどのストレス、全部チャラになったゃったよ……)と思いました。

たぶん、それが生まれて初めて感じた【ストレスが溶ける瞬間】です。

 

僕は移動中にブログを書くことが圧倒的に多いのですが、今、横浜から名古屋に向かう新幹線です。沢山のくたびれたサラリーマンがいます。僕もその中の一人です。

いつも思うんですけどね、みんな東京で一所懸命して地元に帰るんだから、もっとこう、お互いの健闘を称えるように、知らないもの同士だとしても「イエーーーーイ!お疲れーーーー!」って、ハイタッチとか乾杯すればいいのに、と思います。

脱線しましたが、一方で、ディズニーの帰りの、お揃いの服を着て、おみやげがたくさん入った大きなビニール袋を持ってキャッキャとおしゃべりする女子もたくさんいます。

眉間にシワを寄せてパソコンに向かうサラリーマンのストレスが100だとすると、ミニーちゃんの耳を付けた彼女たちのストレスは0.2ぐらいに見えるわけです。

 

そこで、ストレスとは何だろう。ということを考えてみました。

目には見えず、しかし多くの人が抱えているストレス。ストレスで死ぬ人もいると言われています。

このよく分からない正体不明のストレスと僕たちは常に戦い、ストレス解消法を模索します。

 

結局ストレスとは何か、という答えなんか出ないんでしょうけど、先日ひさしぶりに「あっ!今っ!ストレスがっ!発散されているっ!」という出来事ががありましたのでここに書いておきます。

  

 

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つい先日、送別会があって、送別される方がとてもお花が好きな方だったんですね。

寿退社ということもあって、めちゃくちゃ大きな花束を贈ろうと思ったんです。

 

お花屋さんっていいですよね。僕はお花屋さんが大好きです。お花屋さんに勤める女性ももれなく全員大好きです。

お花屋さんには幸せしかないとすら思っています。

お花を選ぶ時間や店員さんに相談する時間さえも商品です。

 

その日の店員さんもお花に負けないくらいかわいらしい人でした。

結果、ついつい長居してしまいました。

送別会19:30開始なのに気がついたら19:30でした。

 

僕は、大きな花束を抱え、スーツに革靴で、夜の栄(名古屋の繁華街)を走りました。

お花屋さんがかわいいせいで、予定より大きな花束となりました。

会場はおしゃれなお店でしたので、スーツもネクタイもいいやつです。革靴も普段は履かないピカピカに磨いた上質なやつを引っ張り出してきました。

携帯には【早く!みんな待ってます!】【今どこ?】のLINE。

既読にしながら一所懸命、走りました。

人でごった返す週末の繁華街を、走りました。

ネオンが光る中を、走りました。  

花束を抱えながら、走りました。

そのとき、思ったのです。

 

 

  

(あれ?待って!ちょっと待って!今、この状態、めちゃくちゃかっこよくない?)

 

 

 

少し寒くなってきた秋の夜。

金曜日。

デート、合コン、女子会、飲み会。

週末の夜を楽しむ沢山の人。

車道はタクシーで埋まり、赤色のテールランプが続く。

まだ11月なのに気の早いクリスマスのイルミネーション。

黒や、茶色や、ベージュのコートで溢れる街を。色鮮やかな花束を持って。

ネイビーのスーツ。ピカピカの革靴、白シャツ。

時折、腕時計で時間を確認して、交差点の信号待ちでは眉間にシワを寄せて少しイライラ、ソワソワ。

信号が青に変われば、せっかくの花束が崩れないようにと、そっと抱きかかえるように、また走る。  

 

 

 

 

 

 

 

(間違いねえ、今、めっちゃかっこいい!!) 

 

 

 

 

少し、余分に走りましたよね。

 

正直に言うと、ショーウィンドウに映る走る自分、ちょっと横目に見てましたからね。

そんで、見るたびに

(あ!夜の繁華街を花束を持って走ってる!いいね!いいよ!)

って思ってましたからね。

寄りましたもん。トイレ。

ラシックのトイレに寄りましたもん。(ラシック=名古屋で一番おしゃれなファッションビル)

ちゃんと、鏡で見ておこうと思って。花束を持つ自分の姿を。

もう、僕を見る街の女性が(あらあら)(パーティーに遅刻かしら)(うふふ)(あらやだかっこいい)(抱いて!)(結婚して!)と思っている気さえして。

 

それで、結局20:00頃に会場に入って、息を切らせて(ホントはそんなに息切れてない)、みんなに「遅い」と文句を言われながら、大きな花束を、主役に手渡しました。

 

主役は大きな笑顔で、大きな花束を、受け取ってくれました。 

 

これから冬がきます。送別会が多くなるシーズンですね。送別会に限らず、沢山のイベントがやってきます。

特に男性のみなさん。

引き受けましょう、花束の役を。積極的に。

花束の役目が無かったら勝手に買っていけばいいんです。

そして、花束を抱え、夜の街を、走りましょう。

かっこつけましょう。

いいじゃないですか、花束持ってるときくらい。

1年間溜め込んだ、僕達のストレスが、嘘のように溶けちゃいますから。

 

というだけの話でした。

 

 

 

ありがとうございました

 

 

おしまい