上戸彩のことはHIROに任せるのがベスト、という選択

最近、忘れがちになってしまっていることを忘れないようにブログに書きます。

 f:id:ui0723:20141117142801p:plain

僕は、いつだって自分にとってベストな選択をして生きています。

僕だけじゃなくて、誰もが、いつだって自分にとってベストな選択をして生きています。

 

どうも最近これを忘れてしまいます。

 

例えば、今の会社に勤めていること。入社したい会社をピックアップし、試験を受けて、合格した会社の中から自分にとってベストであると判断した会社で勤めているわけです。

 

例えば、結婚している人。沢山の異性の中から自分にとってベストだと判断できる人と結婚したわけです。

「いやいや、俺は本当は上戸彩と結婚したかったんだよ」

と言う人がいたとします。

でも、本当は上戸彩と結婚したかったけど、出会うまでの労力や恋に落ちる可能性とそれに費やす時間やお金、そしてHIROのフィジカルを考慮すると「上戸彩ではなく、今の嫁のほうがベストな選択」だったのではないでしょうか。

 

しかし、世の中には転職や離婚が存在します。

これは当たり前なんですよね。「就職しよう」「結婚しよう」という選択も「転職しよう」「離婚しよう」という選択も、その時の自分にとってベストな選択だったわけです。

数年前は「この人と生きていくのがベスト」と判断したから愛を誓ったとしても、数年後には「この人と生きていかないほうがベスト」に変化したりします。これを「あの時はこう言ってたじゃないか!」なんて責める人がいますが環境や心境でベストな選択は変化するから、しょうがないのです。

 

このように時と場合によって選択する内容は変化しますが「自分にとって最善の選択をしてる」

いつだってこれは不変なわけです。

 

だから、安楽死を選んだ人も、電車に飛び込んだ人も、その時はきっと「死ぬのがベストな選択」という判断だったはずです。

きっと、人を殺した殺人犯も、盗みを行った人も、その時はそれが自分にとって最善と判断したから殺したのではないでしょうか。 

 

これを、忘れてはいけないなと、思いました。

 

もちろん罪を犯すことは疑いようもない「悪」です。

しかし、法律的、人道的には「悪」でもその人にとっては「最善」ということがこの世には往々にして存在します。

 

つまり、長々と書きましたが、何が言いたいかと言うと

 

僕にとって最悪の選択が、その人にとっては最善の選択だったりすることがあるということです。

  

 

これは、しょうがない。

だって、その人にとって、それが最善なんですから。

 

だから、僕たちは、子供や部下や友達や恋人や家族が、自分にとって悪い行いがあったとしても、彼らや彼女らにとってはそれが最善な選択肢であったことを認識し、受け止めなければなりません。

 

大きな声で叱ったり冷たい言葉で責めたり陰で悪口を言う前に、一呼吸置いて考えなければいけないのは「なぜその人はその選択肢をベストだと思ったのか?」なのかもしれません。

 

そして同時に、過去の自分の行いに後悔していたとしても、その時の自分にとってはそれがベストな選択だったということを考えれば、今よりも沢山のことを、もしかしたら、憎んでいた誰かすらを許せるようになるのではないでしょうか。

 

30代になり、仕事での立場や役割が変わり、プライベートでも接する人が変わってきている今、僕はこれを忘れないようにしなくてはならないな、と感じる今日この頃です。 

 

 

忘れませんように。 

 

 

あと、ひょんなきっかけで上戸彩と知り合えますように。

 

 

 

おしまい。

 

 

ビビリ

ビビリ