午前9時30分。ビジネス街にある地下鉄の駅でナンパしている男がいました。
マスクをして、女性に声をかけている。
しかも、片っ端から。片っ端、という言葉がピッタリなんです。
「おねーさん、どこいくんですか、お話しませんか」
そんなセリフをとにかく目の前を通る女性のほとんどに投げている。
しかし、彼は動かない。その場で立ったまま、声をかけている。見事なソーシャルディスタンス。
出勤が落ち着く9時30分とはいえ、まあまあ人通りはあって、お姉さんもたくさんいるけど、当然、無視。
(すげえ奴いるな…平日の午前中にストリートのナンパって、なんなん)
だって圧倒的に不利ですよね。平日、ビジネス街、午前中、片っ端感、そしてコロナ。何をどう考えてもナンパ成功する可能性なんかないんですよ。
男がナンパしていた伏見という駅は名古屋駅と名古屋一の繁華街である栄駅に挟まれたオフィス街にある駅なんですけど、地下街と連結されていて、きれいな新しいお店もあれば、昔ながらの飲み屋街もあるんです。夜は賑わいますが、それまでは「お仕事の街」の顔をしているんです。
そんな中での、ナンパです。
性欲がどうにかなりそうで、頭いってまったか。
そんなこと感じながらもそこを素通りし、用事を済ませ、ひさしぶりに伏見に来たので好きな蕎麦屋さんで早めの昼飯を食べて、喫茶店で仕事をして、店を変えて仕事をして、PCのバッテリーが少なくなり、さて、コンセントのあるカフェかコワーキングスペースにでも移動しようかな、でも伏見ってあまり来ないから知らないんだよな、栄に移動するか。でも、まもなく16時か。家の近所のファミレスにしようかな。みたなことを考えながら伏見駅に戻ったら
そいつ、まだいるんですよ。
「オネーサン、ドコイクンデスカ、オハナシシマセンカ、オネーサン、ドコイクンデスカ、オハナシ」
もうお姉さんの顔なんかほとんど見てないんですよ。
表現が難しいのですが、一応、オネーサンの方に身体は向けている。
身体向ける、声かける、身体戻す。決して歩かない。
もうね、気が狂ったメトロノームみたいです。
ただ目の前を通る女性に揺れながら言葉というか、音を発するマシーンになってるんです。
もしかしたら僕にしか見えてないのかもしれない。
そんなん、絶対に声かけるじゃないですか。だって心配だし、理由が気になるじゃないですか。
1回見ただけなら「変な奴だな」で終わるけど、約7時間空けて2回も見てしまったら見なかったことになんかできない。素通りできるほど僕は大人じゃない。38歳だけど。
声かけました。
大学生くらいの男子、お前、どうした、と。
僕、朝ここを通ったときもナンパしてたけどずっとやってるの?って。
そしたら、彼
「はい!もう二日目です」って。
なんでちょっとドヤ顔するんだよ。
昨日は8時間ナンパして、今日は8時間以上ナンパする予定だとか。
立ち話で話を聞いたら、大学生くらいだと思っていた彼は27歳で、高校生から付き合っている彼女が会社の上司とバッチバチの浮気してて。当然彼女とは別れて、でも実はこれが初めてじゃなくて、彼女は過去に何度も浮気をしていて、別れたり付き合ったりを9年くらい続けているとかで。そして先週、彼女とまた別れました、有給がめちゃくちゃ余っているので、それ使って会社休んでナンパしてます。とのこと。
そこから少し詳しく話を聞くと、ナンパの理由は「彼は彼女のことしかしならい(他の女性としたことない)らしく、それでナンパしてます」みたいな結論です。
こいつ、完全に、頭、いってまったな。
とりあえず、やめなさい、と。
コロナで他人との不必要な接触は避けるべきだし、なんかお前、色々まちがっているから、と。彼がいかにまちがっているか時間を使い説明し、君みたいなイケメンはストリートじゃなくて、居酒屋でナンパにするべきだ、コロナ落ちつたら、とかそんな話。
そしたら彼
「ありがとうございます。お兄さん、声かけてくれてありがとうございます。でも、もうちょっとだけやります」って。僕に頭を下げ「オネーサンドコイクンデスカマシーン」と化します。
当時の僕は、新しく出る書籍(34のノンフィクションの短編集&そこから得らえる恋愛指南)のことで頭がいっぱいで。
100以上集まったノンフィクションの話の中から、どれを文章化して、本に入れるのか、入れないのか。
僕に物語を寄せていただいた人は、みんなそれぞれ、好きな人からの言葉で虐げられたり、裏切られて絶望の底を彷徨ったりしているのに、涼しい顔して歩いている。
健康そうに見えるのに、何の苦労も知らないようなきれいな手をしているのに、自身への戒めや、必死に飲み込んだ言葉とかを、他人から見えない所に入れ墨として刻んでいたりするわけですよ。
笑えないトホホな恋愛の失敗談をみんな
「大昔に、とっくに終わったことですよ」とか
「たいした話じゃないですけど」って笑って話す。
「ナンパもうちょっと続けます」って言われて、きっと彼にとってこのナンパは「これやんないと、次に進めないんですよ、消化できないんです」みたない行為なのかな、そう思ったんですよ。
みんな、あると思うんです。そういう体験が。
ナンパじゃなくても「ダメだと分かっているけど告白しないと次に進めない」とか、そんな経験。
いつか彼も、このナンパの日を誰かに笑って話せるのかなって。
そんな彼の背中を見ていたらなんか、
こんなことを僕は感じてしまい、嗚呼、僕は疲れているんだな、と。
どこにも寄らず、風呂に入って、スマホの電源落として寝ました。前日徹夜だったし。
そんなナンパの彼の話は入っていませんが、どこにでもいる僕たちが体験した34のノンフィクションの短編集が出ます。ドラマチックで狂気的で情けなくてノスタルジックな物語。そして、そこから得られる教訓の本です。
書籍から無料公開した記事はこちら(無料公開は物語部分のみ。教訓部分は書籍のみ)
ありがとうございました。
おしまい